さて問題です。
あなたは英語やある外国語が得意ではないとする。
しかし、ある日、こう言われました。
「来月、◯◯さんのアテンドして」
そう、その◯◯さんは、英語またはある外国語しか話せない。
さて、あなたならどうする?
全く関わったことがない言語だったら諦める。
しかし、どうだろう、英語を始めとして、ほんのちょっとでも関わったことがある言語だったら、どうするだろうか?
昨日までの私だったら、猛烈に勉強したと思う。そして、ビクビクと当日を迎え頑張って会話し、アテンドしたと思う。
でも、それ、全然コミュニケーションじゃなかったということに気づく話。
その1
日本で有名なエクササイズをアメリカに広めようとした創始者の方の話。
その方は、英語がわからない。しかし、最初から、威勢よく単語だけで、ガンガン説明を続ける。最初は、英語ができない?と感じたアメリカ人たちも、その勢いにのまれどんどん、その方の施術に集中し師と仰がれた、とか。
その2
PRをはじめとするブランディングのプロデューサーをする友人は日本語しか話さない。しかし、NYでのロケにも立会いカメラマンに指示を出し、K-POPのバンドの若者たちとの日本での活動にフル同行したり、スペインから来たアーティストのスペイン語しか話さないマネージャーとPRパーティーを仕切る。
彼女は、相手が理解できるかどうかは別にして、日本語で話しきる。
伝わらなかったらどうしよう?とか話せないのは格好悪い、とか全く考えない、と言う。
「全部は伝わってないかもね」と笑う。
しかし、彼女の撮影の指示出し、バンドメンバーのマネージメントパーティーのディレクションという仕事の内容はピカイチ。
日本の満員電車の中で
片方が日本語だけ、片方がスペイン語しか
話さず、楽しそうにやり取りしている姿を
周りの人はどう思ったのだろうか?
だから、日本語で、ずっと話されても、相手がわかろうとする、のだ。そして、物怖じせずに関わる彼女に好感を持ち、相手がコミュニケーションを図ってこうとするようになる。
私は、ずーっと英語、そしてフランス語やスペイン語も学んできた。
それなのに、正確に、バカにされずに喋れるかな、ってことが気になって、全部聞き取れていても、必要なことしか
話し返さないことをしてきたような気がする。(タイ語とかの方が、覚えたてのことをホイホイ使ってた気がする、、、)
正確って、何だ?
究極、日本語でさえも、自分の気持ちのままを話せてるかわからないし、話せていたとしても、それをそのまま相手が受け取っているとは限らない。
むしろ、彼女がスペイン人のマネージャーと、指を使って、数を数える方法のスペインと日本の違いについてやり取りした話を聞いていて、面白いのと、それが羨ましくて涙を出しながら笑ってしまった。
私は、自分の知らない文化を知りたいし、見たことがないものを見てみたい。それなのに、正確さにこだわり、カッコ悪さから逃げていたのかもしれない。
何やってたんだ?
真夏に汗を書きながら秋冬物の撮影をしているカメラマンは日本語だけで話しかけきて、汗まで拭いてくれる彼女に驚いたが、彼女が撮影が早く済むように、各人に日本語で話しかけまくって、段取りを組んで早く終わらせたことを知っている。そして、周りにいたスタッフたちも彼女に感謝したと、口々に言う。
本当に大事なことは、ペラペラと外国語を操ることではなく、何をするか、何を伝えようとするか。その熱意が、相手を動かすし心のコミュニケーションが成立するのだ。
とは言え、語学はよりできた方が、相手の文化、考え方も深く理解できるし、そこで体感できることが多くなるので
勉強は続けるけどね。
冬至を境に、一皮むけた私でした。

